つまらない人生をわくわく楽しくさせるたった5つの習慣

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2022.04.14 web free writer Tani

こんにちは!今日も元気いっぱい余り過ぎているTaniです。

今日は『なんだかつまんない』『おもしろいことないかな』『気が乗らないな』というときに、忘れている自分の習慣(癖)、誰でも簡単に出来る『マインドセット』の方法をお伝えします。ちなみに、自己コントロールはスポーツメンタルの自分の得意分野なので、今書き始めながら、めちゃくちゃわくわくしています♪

目次
1.平和だからつまらない
2.不安は嫌だ
3.比較をしてしまう
4.自分の立ち位置
5.なんのために?誰のために?

平和だからつまらない

結論から言うと、つまらないと思っている人というのは、幸せな位置にいる人です。
余裕やゆとりのある人なので、深刻な問題はそんなに多くはないと思います。

『仕事嫌だな』とか『帰ってもやる事ないしな』とか『明日何しようかな』とか思える余裕のある人に多い悩みですが、だからといって、大したことないわけではありません。愚痴や不満が多いのも実はこの少しゆとりのある人です。

一度きりの人生は自分だけの事じゃない事を感じていて、慎重且つ人様に迷惑掛けないように、配慮に長けてる人に多い為、ストレス緊張が人一倍強い人に多く、日本人にはこの気質の方が多いです。

つまらないと思ったときは、その決まったいつもの道を行くのではなく、2択または3択の道を予測してみましょう。

例えば、【仕事に行く】という一つのアクションがベストかもしれないですし、ベターかもしれないですし、バッドかもわかりません。

ここに正解というのはないんです。個々の人生の歩み方や育ってきた環境、学んできたこと、その捉え方というのはそれぞれなので、この先自分らしく生きる為に今どうするべきか?これがとても重要です。

平和な事はとても素晴らしい事です。社会的に素晴らしいことであっても、自分にとっては普通の事かもしれませんし、素晴らしくない事かもしれません。ちょうど今世界ではロシアとウクライナの軍事攻防戦の真っ最中なので、今一度、なぜ平和が素晴らしくて、なぜ自分にとっては当たり前の事なのか、この機会に考えてみてはいかがでしょうか。

『なぜ?』と思うことと、『その答え』を自分の中で導き出せると、どうして明日自分は仕事に行くのか?という目的が明確化されるので、明日仕事に行かなくてもいいという選択肢が増えるということです。

そもそも、日本という国には義務があります。ちなみに徴兵の義務は日本にはありません。(大日本帝国時代はありましたね!)
①教育の義務
②勤労の義務
③納税の義務

これは日本人として生きるならば生まれながらのルール・義務なので守らなければいけません。なぜ?と疑問を持つと、永遠のなぜ?にハマり、抜け出せなくなる上に、理論上負けるので、この義務というルールは守りましょう。

『働かなければいけない』と『税金納めなければいけない』は同じに聞こえますが、別のカテゴリーなので、混同しないようにしましょう。

少し脱線気味になってしまいましたが、この『義務を守らなければいけない』という使命感と、深く考えずに『こなしてしまう』という作業が重なると、【つまらない】という思考になりやすいということです。

平和は素晴らしいことですが、今ある平和を守る為に必死に戦っている人がいる事を忘れてはいけません♪

【税金の仕組みと目的】については今後別記事でアップ予定です。

不安は嫌だ

安心できない・安全でないことを不安と言います。

『将来の展望が見えない』『このままで大丈夫かな』『どうなるんだろう』
このようなことを大人であれば誰しも考えるはずです。

安定してないところから生まれていることを忘れてはいけません。

人間は母体のなかで生命としてこの世に命を宿すわけですが、無事に体外に出る事なく命を落とす危険の連続から始まっています。

少し余談になりますが、医者でも専門でもないので、その細かい経緯等はわかりませんが、実はこんなおちゃらけている私にも、姉がいたようです。母親のおなかで5ヶ月のところで命を落とされたと伺っています。その1年半?2年?後ほどに私が生まれたということですから、本来私はこの世に存在していなかったということになります。

私は小学生の低学年の頃にこの事実を母親の口から直接聞きました。

当たり前ではないんですね。なので、私の座右の銘は『一期一会』です。

一人の少女が見たかった景色や、人との関係を私自身が体験することによって報われる人がいる。と勝手に思い込んでいます。

話は少し逸れましたが、そう考えると、自分が思っている不安なんてとてもちっぽけで、生きれなかった人が生きたかった『今を必死に生きる!』ことがこの世に生かされた自分に出来る、せめてもの正義かなと思い、色々抱えるべきものが年々増えてはいきますが、多分大丈夫です。

父親と母親がそのショックから頑張った事を思えば、どうせ存在していなかった身。きっと多くの皆さんもそのように誰かの頑張りの中から生まれてきたことだと思います。

比較をしてしまう

人間は弱い生き物です。動物でありながら、理性を持つ特殊な生物でもあり、体の力がライオンやゴリラのように強くなくても、勝てる術を持っています。

優勝劣敗の法則から、地球上では太古から食べる・食べられるを繰り返して現在に至っているわけですが、私たちが生きているであろうこの先数十年の間に、この法則が『変わる』ということはあり得ない!ということはほぼ間違いのないことです。

生き抜く力が他の動物よりも強いとしても、所詮動物です。
お腹がすけばお肉も食べますし、子孫繁栄の為に本能的に性行為も行います。活動エネルギーを蓄えるために睡眠も摂りますし、悲痛であれば泣いたり、吠えたりもします。

この動物の本来持つ欲求を満たすために、必死になったり、楽をしてみたりするものです。人間なので、甘えることも、もっと蓄える為に動くことも、どちらも選択できます。

ここには正解はありません。個人の考え方や価値観等ありますので、【自分がどうしたいのか】ここにすべてが詰まっています。他人ではありません。親でも、配偶者でも、子供でも友人でも、仕事の人でも、嫌いなあの人でもありません。自分です。

マズローの欲求5段階説を参考に追っていくと、生理的欲求は、度を越える精神力(子供を産む時の親の覚悟のような)がないと制御は不可能です。食べずに生きることはできません。いくら美的な言葉を並べても、極限の状態であるならば、普通の人間は隣にいるものを殺めます。恐ろしい話ですが、未熟な母親が子供を殺めるニュースはその象徴だと思っています。それが動物の生理機能です。そんなこと許せませんよね。

個人的になぜ許せないかというと、生理的欲求(1階)ではなく、社会的欲求(3階)や承認欲求(4階)の欲望に負けての殺人に見えるから許せません。100歩譲って、餓死ならわからなくもないですが、あり得ません。

その原因や心理をよく考えるのですが、やはり、【比較】から来てるものが非常に多いという感想です。(あくまでも個人的見解な為ご容赦ください)

比較や対比は、しっかりと活用しないといけません。大抵の間違いは、自分の立ち位置がズレてしまって比較が崩壊しているパターンか、基準の軸が自分本位の偏りが激しいと、正しく比較や対比をできなくなります。

例えばですが、『あの人はあのくらい稼いでるのに私はこのくらい』とか『あの人はあんな暮らしをしてるけど私はこんな暮らし』と思ったことはおそらく多くの人が思ったことはあると思いますが、そもそも、目的とか使命とか違う物を同じモノサシで測ることは間違っています。

月収手取り14万であまり働かずに、贅沢もせずに、生きていくためだけに稼げればいい人と、高級車に乗ったりタワマンに住めればいいなと思っている人と、好きなことを好きな時間に少しでも稼げればいいなと思う人と、色々といるわけですが、様々な条件が一致している場合のみ比較や対比が活かされます。
逆に、違うモノサシで測った段階で、ネガティブな要素のみ残るのは必然です。

比較や対比は自分の成長の為に活用できると、色々な自己分析のツールとして使えます。

自分の立ち位置

例えばですが、

ここに30cm定規がここにあります。
私はブログで年収400万を目指しているとします。

この場合30cmのところが年収400万円となり、今の私の立ち位置は年間4万円の収入なので、(わかりやすくこの数値にしています)100分の1の、3mmのところに位置しています。

これが対比の上手な利用方法です。残りの99%を埋める努力をするか、方向転換をするか、選択はその人の自由でありますが、個人的には前者を強く勧めます。

目標が定まると、人はものすごい成長曲線を描いて成長していきます。動物にはこの理性はありませんが、人間には努めて成し遂げる『可能性』が組み込まれています。その上、ジャングルの世界では一発勝負(失敗は死)が基本ですが、人間社会は何度も失敗していいという永久保証付きです。特に日本という国は世界でもトップクラスの救済能力を持っています。

それはチャレンジ出来る仕組みがあって、生きれるテーブルの上に食材や箸、飲み物等、人としての最低限度の暮らしを保証すると法律上述べているのです。

その為『どんどんチャレンジしてください』『道路や水道施設もみんなの税金で作りましょう!もちろん出来たら無料か一定のルールを決めて誰でもみんなで使いましょう』と官民個人の各々のモラルの高い国ということです。

たくさん納税している人は多くは語りませんが、少なからず心の中で『税金も払ってないやつに税金で作った道路なんか使用させるな!』とか『その道路を使う車なんか売るな!』とか、『水道使うな!』とか思うことでしょう。

比較の論理からいくと、こちらが正統なのですが、口に出さないのはよりよくしたい『心』と、『美学』なのかと推測できます。

自らの社会的立ち位置を踏み間違えない為にも、ルールや法律は頭の中に入っていないと、知らず知らずに自分本位に陥りやすいです♪

関連する 【小2でもわかる社会保険の仕組み】等も今後アップする予定です。

比較は正しくしないと自分を苦しめるということは忘れてはいけませんね♪

何のために?誰のために?

この記事の最重要テーマです。

『明日仕事に行く』『明日仕事に行かない』この2つでわかりやすく説明していきます。前提はどちらも選択可能ということです。

ここでマズローの欲求5段階説をおさらいします。自分がどの立ち位置付近にいるか読みながら考えてみてください。5階建ての構造になっています。


屋上自己超越至高の体験したい
5F自己実現目標を達成したい・創造的活動したい
4F尊厳欲求・承認欲求認めたい・認められたい
3F社会的欲求属したい・関わりたい
2F安全欲求安全の確保
1F生理的欲求生命の維持
マズローの欲求5段階説

我が家にも0歳児(9ヶ月)がいますが、赤ちゃんは欲求に素直です。
喋ることが出来ないので、体いっぱいで表現(主張)してきます。

生まれてすぐは主張さえできませんが、9ヶ月にもなると、【安全欲求】と、【社会的欲求】を、あたかも【生理的欲求】の如く繰り出してきます。

親はこの辺の見境の知識がわかると、育児がずっと楽になります。

9ヶ月にもなると、つかまり立ちをするようになるのですが、理性で自己実現(5F)をするというよりは、動物的本能で起立という自己実現を目指しているように感じます。

ここまででなんとなく感じる方は勘のいい方です。

本能と理性の成長曲線を比較した場合は、本能(感覚的)に覚えさせた方が早いということです。パソコンのタイピングや運動力学、リハビリなども、この感覚的修得です。逆に理性(知性的)に覚えさせるメリットは、忘れても思い出せるというのが知性的修得ということです。

私は22年間野球というスポーツを一線にて携わらせてもらいましたが、いつも通りバッティングしているはずが、なぜか毎日少しずつ違うことに気づき、毎日試合後は打撃フォームのチェックを日課としていました。その日の体調によって、構え方(フォーム)が違ったり、ステップの位置が半足ズレてたり、足を上げるタイミングが違ったり、体の閉じ方が違ったりと、毎日同じ!という日はないんですね。

これは『走る』でも『守る』でも『歩行』でも『姿勢』でも同じ事なのです。

今でも草野球に参加したりしますが、『どこがどうだからこう修正』と意識的にベストな状態に持っていくことが出来ます。

ベストな状態での失敗(納得の失敗)は、野球というスポーツの場合は成功に値するのです。(すべての打席でヒットを打つとか、全ての打者を三振取るのは対戦型スポーツにおいて矛盾が生じる為)いかにして、『納得の失敗』という成功体験を積み重ねるか、その成功の数値として、打率やホームランや奪三振率や防御率・勝率等に変換されるものです。

話はそれ気味ですが、超大事なことで、身体も心も毎日変化をしているということで、変化していないのは『自分』が『変化なし』と思い込んでいる(変化していない方が楽)ため、ホルモンバランスであったり更年期や認知症にも繋がることだと考えています。医学的・理学的解明は専門のスーパースター達が今後解明してくれることと思いますので、期待してます。

話を戻して、『マズローの欲求5段階説』と『人間の身体は日々変化している』を前提に、わくわくする日常を手に入れる為には、

①平和である事が当たり前じゃない事を知る
 平和を求めるのであればつまらないことは多くなることを知る
 国民の義務は義務として当たり前に行う(精神的負債は抱えない)

②不安の連続から始まっていることを知る
 安定が当たり前ではなく不安が当たり前なことを知る
 今社会に存在している事が奇跡だと知る

③基準のない比較はネガティブを生むことを知る
 目的に合った目標値の測れるモノサシを持つ
 人は人、自分は自分、比較・対比は自分の為に使う

④社会的な自分の立ち位置を知る
 救済の仕組み・国の仕組み・社会の仕組みを知る
 今も誰かが自分の為になることをしてくれている事を知る

⑤マズローの欲求5段階説を知る
 目的と自分の立ち位置がマッチしているか知る
 自分が変化し続けている事を知る

つまらない日常は自分の覚悟

極論になりますが、つまらないと楽しいのどちらかを選択しないといけません。平和と・不安のどちらかを選択しないといけません。

個人的にはなりますが、『つまらない』という不満とともに生きていくのはごめんなさいなので、一本の『こうやって生きる!』という強い意志を持てば、違うと言える努力と、そうですねと協調できる努力を心がけていると、
嫌いだったあの人が努力してる姿とか見えたり、何でもない普通の景色がとても綺麗に見えたりするものですよ♪

一度きりの人生で、自分の周りにはたくさんの人がいると思います。親・兄弟・友人・同僚・同級生など、その誰を喜ばせてあげたいか?その人にどんなアプローチでどのようなプロセスでどんな笑顔が見たいか。その喜ばせたい人の笑顔の為に自分が頑張るそんな人生もとっても素敵な人生だと思っています。

ご視聴いただきありがとうございました♪





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